校長先生の話は概ね次のようであった。
「夏休み勉強合宿」は当初スポーツ合宿で子供達が生き生き活動しているのを見て、「こんなに良い場所をスポーツだけで終わらせるのはもったいないではないか」と考えた。教員志望の大学生を指導者に使うのは、情熱を持って対応するから影響力大きい。教員の指導とは一味違うものがある。校内の全ての教員が賛成しているわけではないと思うが「それで学習の実績が上がっているのだから良いではないか」と思っている。
「コミュニケーション能力の開発」については、自分なりに学力向上の妨げになっている要因を分析してみたのだが、
- 結局
- *旨く話を聞けない生徒が多い
- *学習に対する興味・関心に欠ける生徒がいる
- *基本的な学習習慣が付いていない生徒がいる
と言うことが判った。これらの現状を克服する方法として、学習でインプットした情報を自ら復唱(発表)し、またそれを聞いた相手が充分に理解出来るまでにその技術を高めることが出来たら、学習効果としては成功ではないのか。
- つまり逆説的に云うと
-
「自己を正しく表現出来る生徒は、学力の高い生徒である」という仮説が成り立つのである。
NHKの話は、たまたま協力して頂けるようになったのであるが、プロのアナウンサーが指導に来てくれたりして大変助かっている。生徒に対する効果もさることながら、教員の「指導技術」としての効果も大いに期待されるところである。
次に私の感想を申しあげます。
今回の視察で私が感じたことは、教育の原典は「教える先生の情熱と向上心」だと思った。常に「これでよいのか」という向上心がなければ、生徒が感動する良い授業は出来ないと思う。教師は物を相手にしているのではない、生きた人間、それも感受性の強い子供を相手にしているのである。
視察後の雑談の中で「先生の夏休み」について話題になった。
「先生は夏休みがあって良いなー」というのが一般の人の見方ですよね!
でも本当は、先生にとって夏休みが一番忙しい、大切な時でないのかと思うのです。中には、先生になった動機として「夏休みがあるから」と言って、本当に休んでいる人もいるようですが、とんでもない思い違いです。夏休みは生徒の休みであって先生の休みではないのです。日本の場合は夏休みといえども給料が支給されているのですから、ちゃんと仕事をしてもらわなければいけないのです。その事を楯にとって、夏休みでも学校に出てくるようにとか、学校の芝刈りやペンキ塗りに出てくるように指令する教育委員会や学校の管理職などがいるそうですが、これもまた困ったものだと思います。私は本来、先生にとって「夏休み」は大変重要なときだと思っています。実は、この夏休みにこそ、新しい教材の資料を集めたり、教え方の研究をするのです。
極端な例ですが話を判りやすくするために、夏休み中の海外旅行を例に取りましょうか!物見遊参の観光旅行か研修旅行かの区別は大変難しいです。厳密にそんな区別が出来るでしょうか。出来ないと思います。とは言うものの、夏休みといえども「勤務中」でありますから、物見遊参の観光旅行を放置するわけには行きません。
しかし、そんな結論の出ない議論を幾らやっても不毛でしかありません。私は、観光旅行か研修旅行かと言った議論をするよりも、学習の成果が上がっているのかどうか、つまり「結果責任」を取ってもらえばよいのです。教育の仕事ほど結果を問われる職業はありません。
実はそのシステムが日本の学校教育には無かったのです。公務員という鎧でガードされた「甘えの構造」を打破しなければならないと思っています。先生の指導基準としての「学習指導要領」は決められています。しかし「教え方」は、基本的には先生のオリジナリティーであり、学習効果があがるかどうかは先生の技量と人間性に掛かっているのです。学校と先生に関する「評価基準の確立」が急がれます。